東洋の秋The oriental autumn

(大正九年三月) 「芥川龍之介作品集第二巻」より
芥川龍之介

(1892-1927)東京生れ。東京帝大英文科卒。在学中から創作を始め、短編「鼻」が夏目漱石の激賞を受ける。その後今昔物語などから材を取った王朝もの「羅生門」「芋粥」「藪の中」、中国の説話によった童話「杜子春」などを次々と発表、大正文壇の寵児となる。西欧の短編小説の手法・様式を完全に身に付け、東西の文献資料に材を仰ぎながら、自身の主題を見事に小説化した傑作を多数発表。1925(大正14)年頃より体調がすぐれず、「唯ぼんやりした不安」のなか、薬物自殺。「歯車」「或阿呆の一生」などの遺稿が遺された。

 おれは日比谷公園を歩いてゐた。
 空には薄雲が重なり合つて、地平ちへいに近い樹々きヾの上だけ、わづか にほの青い色を残してゐる。そのせゐか秋の の路は、まだ夕暮が来ない内に、砂も、石も、枯草も、しつとりと濡れてゐるらしい。いや、路の右左に枝をさしかはせた篠懸すずかけ にも、露に洗はれたやうな薄明りが、やはり黄色い葉の一枚ごとにかすかな陰影をまじ へながら、ものう げにただよつてゐるのである。
 おれはとうの杖を小脇にして、火の消えた葉巻をくはへながら、別に何処どこ へ行かうと云ふあてもなく、寂しい散歩を続けてゐた。
 そのうそ寒い路の上には、おれ以外に誰も歩いてゐない。路をさしはさんだ篠懸すずかけ も、ひつそりと黄色い葉を垂らしてゐる。 ほのかに霧の懸つてゐるく手の樹々きヾあひだ からは、唯、噴水のしぶく音が、百年の昔も変らないやうに、小止をやみないさざめきを送つて来る。その上今日けふ はどう云ふ訳か、公園の外の町の音も、まるで風の落ちた海の如く、蕭条せうでうとした木立こだち の向うに静まり返つてしまつたらしい。――と思ふと鋭い鶴の声が、しめやかな噴水の響を圧して、遠い林の奥の池から、一二度高く空へ挙つた。

おれは散歩を続けながらも、云ひやうのない疲労と倦怠とが、重たくおれの心の上にのしかかつてゐるのを感じてゐた。寸刻も休みない売文ばいぶん 生活! おれはこの儘たつた一人ひとり 、悩ましいおれの創作力のそらに、むなしく黄昏たそがれ の近づくのを待つてゐなければならないのであらうか。
 さう云ふ内にこの公園にも、次第に黄昏たそがれが近づいて来た。おれのく路の右左には、 こけ にほひや落葉のにほひが、混つた土のにほひ と一しよに、しつとりと冷たく動いてゐる。その中にうす甘いにほひのするのは、人知れず に腐つてく花や果物のかを りかも知れない。と思へば路ばたの水たまりの中にも、誰が摘んで捨てたのか、青ざめた薔薇 ばらの花が一つ、土にもまみれずににほひつてゐた。もしこの秋のにほひ の中に、困憊こんぱい を重ねたおれ自身を名残りなくひたす事が出来たら――

 おれは思はず足を止めた。
 おれのく手には二人ふたりの男が、静に竹箒たかぼうき を動かしながら、路上に あかるく散り乱れた篠懸すずかけの落葉を掃いてゐる。その鳥の巣のやうな髪と云ひ、ほとん ど肌も蔽はない薄墨色うすずみいろの破れころもと云ひ、或は又けもの にもまがひさうな手足の爪の長さと云ひ、云ふまでもなく二人とも、この公園の掃除をする人夫にんぷ たぐひとは思はれない。のみならず更に不思議な事には、おれが立つて見てゐるあひだに、何処どこ からか飛んで来たからすが二三羽、さつと大きな輪をゑがくと、黙然もくねん と箒を使つてゐる二人の肩や頭の上へ、先を争つて舞ひさがつた。が、二人は依然として、砂上に秋を き散らした篠懸の落葉を掃いてゐる。
 おれはおもむろくびすを返して、火の消えた葉巻をくは へながら、寂しい篠懸の間の路を元来たはうへ歩き出した。
 が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時いつか静な悦びがしつとりと薄明うすあかる あふ れてゐた。あの二人が死んだと思つたのは、憐むべきおれの迷ひたるに過ぎない。寒山拾得かんざんじつとくは生きてゐる。永劫 えいごふ 流転るてんけみ しながらも、今日猶この公園の篠懸の落葉を掻いてゐる。あの二人が生きてゐる限り、懐しい東洋の秋の夢は、まだ全く東京の町から消え去つてゐないのに違ひない。売文生活に疲れたおれをよみ返らせてくれる秋の夢は。
 おれはとうの杖を小脇にした儘、気軽く口笛を吹き鳴らして、篠懸の葉ばかりきらびやかな日比谷ひびや 公園の門を出た。「寒山拾得 かんざんじつとくは生きてゐる」と、口の内に独りつぶやきながら。

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